史料に基づいた小城羊羹の歴史について紹介します。

1-1. 小城羊羹の発祥

| コメント(0)

小城羊羹の元祖は森永惣吉氏です。

その創業は明治5年とも明治8年とも言われています。森永家は代々小城鍋島家の御用肴屋を勤めた家柄であったが、江戸末期か明治の初期に、大阪市虎屋の手代より羊羹つくりの秘伝を学び、本業の傍ら羊羹作りを始めていた。これが意外に好評を博したので、氏が29歳の時、明治8年に本格的に羊羹作りに進出、羊羹屋を創業したと考えられます。惣吉氏は大変研究熱心で白羊羹や茶羊羹を生み出し、たいそうな評判を得るようになりました。

昭和9年発行の「小城郡誌」によると

森永惣吉は日夜良品の製造に苦心を重ね、貯蔵に堪えしめ変質しにくい羊羹を工夫し、小城羊羹の名声は益々揚がる。明 治27年~28年の日清戦争に際しては、軍隊酒保用品として戦地に輸送すれど、変質、腐敗を起こすことなく、戦地よりの注文が激増するに至った。

とあります。

明治35年には、京都市において開催された全国菓子品評会に出品、入賞の栄誉を獲得し、その後各地の品評会に出品しても、常に名誉の栄冠を獲得し名声をはくしたと言われています。

小城羊羹の製造は明治35年以後に、横尾種吉、橋本庄平、山田亀吉、村岡安吉、柴田金三郎、篠原清次郎の6氏が相次いで新規参入し、それぞれ羊羹製造と販 路開拓に力を尽くしたと言われています。特に、明治37年~38年の日露戦争の勃発は、軍の酒保用品として、小城羊羹の更なる需要増大をもたらし、好況期 が続きました。そして明治40年代には、製造戸数は森永氏を加えて、10数戸に増えていました。

小城羊羹は当初「桜羊羹」とよばれていました。これは小城の桜岡公園との関係によります。明治8年に公園法が制定され、小城の桜岡一帯は全国でもいち早 く、佐賀県内では最初に「公園」に指定され、「桜岡公園」と呼ばれていました。その公園の入口で羊羹が売り出されたことから、桜羊羹と呼ばれるようになったのです。しかしながら一般の取引先、とくに町外や県外には「小城羊羹」の名の方が通っていたようです。明治27年~28年頃には小城羊羹の呼び名で広く取引されていたと言われています。

コメントする