史料に基づいた小城羊羹の歴史について紹介します。

2-1. 商標裁判

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大正期における小城羊羹の製造、販売は大正3年で製造戸数29戸、生産量27万斤、51、000円の生産額になっていた。大正3年8月に結成された「小城羊羹製造同業組合」は、大正9年には組合員数81名となり、広く「小城羊羹」の商標を使って販路を拡大していきました。

この頃、域外業者との間で「桜羊羹」と「小城羊羹」の二つの商標について裁判になっています。

大正8年「桜羊羹」商標登録無効審判事件―――これは明治8年以後、「桜羊羹」が小城地方で一般名称として使われて、それはあたかも羊羹に対する一種の通称ともなっていました。しかしながら県外の他の同業者が、「桜羊羹の名入り羊羹ラベル」を特許局に商標登録してしまったため、この登録を無効として審判請求を起こした。 この事件は「ラベルデザイン」としては登録が認められ、地元申請人の敗訴となった。しかしこのことは、小城の羊羹業者たちに商標と言うものがいかに大事かを認識させるきっかけとなりました。

 大正9年「小城羊羹」商標登録無効審判事件――― 翌大正9年、今度は「小城羊羹」の商標登録が久留米の羊羹製造業者によって行われ、驚いた小城の業者が無効審判の訴えを起こした事件である。無効の請求訴訟を起こしたのは、小城羊羹製造同業組合を代表した、横尾種吉、村岡安吉、橋本庄平の3氏であった。 請求人の主張は

  1. 私どもの住む小城町は既に数十年前から羊羹の産地であり、その製品は商標の如何にかかわらず「小城羊羹」として広く取引されてきた。しかも「小城羊羹」の呼称は「世人をして直ちに優良羊羹を連想せしめる程熟知されてきており・・・・」
  2. 小城産の羊羹は明治20年ごろまでは商標は桜羊羹、煉羊羹としていた。しかし、実際に市場では小城羊羹といわれてきたし、明治27年~28年頃から殆どの業者が小城羊羹の商標を使用し、今日に至っている。
  3. 小城羊羹製造同業組合(大正3年8月結成)は、大正9年現在81名の組合員をもって、小城羊羹の商標を使っており、広く慣用されてきた「小城羊羹」を、近年になって域外業者が商標登録するのは違法であり無効である。

と主張した。結局この審判は、請求人である小城町の業者の主張が全面的に認められ勝訴となった。

 この裁判によって初めて団体商標としての「小城羊羹」が確立され、小城羊羹の歴史と伝統が守られることになったのです。

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